生きていくのは大変だ。この世の地獄なのかもしれない。だけど生きていこう

最近は変わりのない日々を送っているように思える。芸術作品や映画、感銘を受けるような本に出逢っても心が動くのは瞬間的なもので終わってしまい。高揚した気持ちはずっとは続かない。
まるで薬物中毒者のように更なる娯楽を求めて、週が明けるとともにまた日々に追われて時間を過ごす。この世は楽しいはずなのに、まるで繰り返しの日々を送ることは賽の河原の石積みをしているような地獄にいるような感覚に陥ってしまう。


今年に入ってから何か新しいことを始めたい気持ちがあった。新しいことを始める特別な理由なんてなかったのだけど、ただ最近過ごしている時間が無為過ぎているようで、何か新しいことを始めればこの気持ちが晴れると思ったのだ。
私はギターを弾くのだが、高校生の時に楽器を始めたときはただ夢中でギターを弾いていた。楽しいという気持ちに理由はなくて、楽しいということは論理を立てて話すようなものではないと思っている。
ただ、その頃は朝までギターを弾いていたし、毎日のように友人と音楽の話をしていた。それが当時は楽しいと言葉に出した訳ではないのだけど、今はあの頃に戻れるのであれば、きっと何かが見つかるかもしれない。だけど残念ながらタイムマシンなんて存在しないし、タイムリープもすることはできない。考えるだけ無駄なのだ。結局のところは堂々巡りをこの何年かしているだけ。

それならばこの地獄のような場所から抜け出すためには新しい行動を起こさなければいけない。それが正しいか間違っているかは誰もわからないし、わかるのであればその人は神様にでもなれるだろう。
きっとこの同じような繰り返し、地獄だと思って自ら命を絶ってしまった人も居るかもしれない。だけど私はそれは非常に愚かな行為だと思う。まだ僅かながらに思考する力が残っているのであれば、その思考を精一杯駆け巡らせて行動をするべきなのだ。
だって、あの世も結局は地獄だったら何も変わらないのだから。それだったら、この地獄を少しでも良くするように足りない頭を動かして、少しでも楽しい未来へ繋げるのが正しいのだと思う。結局はこの世でもあの世でもやることは変わらなくて、ただ自分を中心として世界を変えてく必要があるのだ。

自分が行動しても明るいほうへ世界が変わらないのであれば、誰かの迎えを待ってみるのも良いかもしれない。
誰かに会ってみるのも良いかもしれない。自分が思っているより他人は私に興味を持っていないという考えが私にはあるのだけれど、それは自分がミスをした時の処世術でもあって、反面苦しませている側面を持っているのだとわかってきた。

考えを常に進化させていこう。変化を求めよう。そうしたらもっとあかるいほうへ進むかも知れない。地獄でも自分が変われば天国になるのだ。きっと。